栞

2019/03/23 23:26

今日はとても主観的な話。



私は普段、革で作品を作りながら生活をしている。
そうすると様々なセンスというか、感覚を持った人と出会う。

人によっては目が肥えていると自負がある人もいれば、
センスに自信がないという人もいる。

そんな会話の中で違和感を感じた。

確かに、ハイブランドや有名なデザイナーさんの製品は
考え抜かれたもので、多くの人が良いと感じるかもしれない。

けれど、それら=センスが良いということに違和感があった。

その“良さ”は誰の何の基準なんだろうか。
(私自身まだまだセンス足りてないのにごめんなさい。
けれど、純粋な疑問として感じたので、許してください…)

私がセンス良いなあ/悪いなあと感じるものであっても、
他の年齢、他の地域、他の国、他の時代の人たちが見たら
違ったことを感じるかもしれない。流行も変化する。

そんなふうに正解が変化するならば、
私は私が好きだと思うものを作りたいし、
あなたはあなたが好きだと思うものを使ったら良いと思う。

投げやりになりたいわけではなく、
なんというか「センス」という言葉に良い/悪いをつなげることに違和感がある。
というか、少し悲しい気持ちになるという感じだろうか。
好きなら、それでいいのでは、と。


多くの人に売れるものが作りたい、ということを考える時には
また答えは変わってくるだろうけど、
今の自分にはあまりのその気持ちは強くない。

そうなると、今のところ正解は自分が良いと感じるもの。
そして、共感してくれた人に届くこと。

もちろん、たくさんの人に手に取ってもらえたら嬉しいし、
気に入って使ってもらえたらものすごく嬉しい。

けれど、自分が良いと思えないものを売るのは苦しいし、
もしもあまりにも自分の“好き”と他者の“好き”が重ならない場合は、
仕事の形を考え直した方が良いかもしれない。



もちろん、まだまだ自分の“好き”を磨いて、
作品に“良さ”を乗せられるようになりたいなあと思っています。

が、日常の中で少し違和感を感じた話でした。



写真は、岡山の西粟倉村で貴重な時間を過ごした時に
友人が撮ってくれたもの。

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